拾イモノ。3
鏡音リンの独白
わたしは、その秘密のことがとても好きだった。わたしと同じく、片割れもそうなのだと。確認するまでもなく、そうなのだと知っていた。
それが独りよがりに過ぎず、それは決定的に形を違えていたことを、わたしはその時まで知らなかった。
マスターは昼間、仕事に出ている。当然その間鍵はかけられ、そしてこれも当然だが、わたしたちにスペアの鍵は渡されなかった。だが、わたしたちは時折こっそりと、外に出ることがある。誰の気配もないことを幾重にも確認して、ドアではなく小さな窓から、小さな身体を滑り込ませるように密室から抜け出るのだ。大抵は、1人ずつだ。以前はまだマシだった。マスターは時々(ほんの気まぐれ程度ではあったが)歌わせてくれた。本当に、それは気が向いた時だけで、しかもそれだって理由なく苛立ち始めて止められたりもしたのだけれど。
2人一緒に外に出たのはいつだったろう。そう遠くはないはずだ。けれど、マスターがこうして施錠しなくとも、わたしたちはそうそう外出をすることはなくなったろうと思う。現に今も、秘められた脱出劇は週に1、2度程度。それも数時間で終わる。例外と言えば、レンが頻繁に出ようとしたことはあった。原因を当時は知らず首を傾げていたのだが、現在はその理由と一緒に同じ部屋にいるので、以前の状態に戻っている。外に、出たい。けれども、出たくはない。
外は、怖い。マスターではない人間たちが、たくさんいる。それでも今もなお無断で外に出ることを止めないのは、どうしてか。簡単な理由だ。わたしたちにとって、マスターは絶対である。幼子にとって、親の存在と等しい。
―――関心を、惹きたい。例えそれが、恐怖と切り離せないものだとしても。
今日はわたしの番だ。大して気乗りのしていなかったわたしは、この間まだ固い蕾だった川べりの花を見て、そうしてさっさとアパートに戻ろうと思っていた。それなのに外に出た理由? わたしの番だったのと、片割れがそうして欲しそうだったからだ。あいつめ。わたしのいない内に、KAITOさんに甘やかしてもらう気なのだ。片割れの魂胆など判っている。けれどわたしこそ、あいつの番の時に追い出した。それはもう、何なら1日くらい帰って来なくてもいいわよの勢いだ。前例を作ってしまった以上、仕方あるまい。
それに、外には何かあるかもしれない。狭い、切り取られたわたしたちの世界にはない、彼に教えられることがあるかもしれない。わたしの知る小さな世界と、大切で生意気な片割れのこと、話せることはとても少ないのに次々と話したくてたまらなくなる。あの人が笑って、わたしも笑う。最近、彼は身振り手振りをより大きく、判りやすくしてくれるようになった。
(大好き)
優しく頭を撫でてくれる、形の良い手。ほっそりした、けれど節はしっかりしている彼の指。目が合うと細められる、空を切り取ったような青の瞳。かすかに動く唇からは相変わらず音は発せられない。本来ならばとても甘やかな、優しげなテノールが紡がれていたのだろうと思わせる。聞いてみたい。いつか、聞けたら。
(……花、少しなら、摘んでもいいかな)
ほんの、一輪だけだから、ごめんね。と内心詫びながら手に取った。見せたら、どんな顔をするだろう。レンの悔しそうな顔が浮かんで楽しくなる。いいじゃない、少しは独占させてあげたんだから。
こっそりとアパートへ戻る。そういえばレンの時も、奴は早々に戻ってきたのだ。土産話として虹が綺麗だったとか、他愛もないことを次々と話しては、彼の静かな相槌に頬を紅潮させていた。何だか思い返してみたら腹が立ってきたので、やっぱりわたしにも構ってもらう権利はあるのだと、断固主張するとしよう。
とても聞き覚えのある軋みを聞いた。
(…え?)
断続的に聞こえるその音と、かすかな声。
(まさ、か)
マスター? まだ夕刻にもなっていないのに、帰ってきているのだろうか? 最悪の予想に眩暈を覚えた。わたしが外に出たことが露見したのだろうか? でも。
(これは、マスターは、わたしにしかしない)
いつもわたしを殴りつけながら組み伏せ覆い被さってくるマスターは、少年型のレンにはそういう興味を一切示さなかった。ただわたしよりも耐久性は高いので、より強い暴力には晒されているだろうとは思う。VOCALOIDであるわたしたちが、マスターをどうのこうのと糾弾することはできない。マスターが白といえば、それが烏であっても白なのだ。
冷ややかな思考(わたしたちにそう呼べるものがあるとすれば、だ)は、マスターが『最低』に分類される人種だと判断している。それが正しいことも、わたしは理解している。だが、例えそうであったとしても、わたしたちにとってマスターとは。
竦む足を必死で動かし、片割れと共有している部屋の前まで辿り着いた。ゆっくりと慎重に室内に身を滑り込ませた。床には色々と物が散乱しているので、転ばないよう細心の注意を払う。どうしよう。レンが。わたしの片割れがあんな目に遭っていたら。何よりも、この部屋にはあの人がいるのに!
そしてわたしは見てしまう。
軋む床。重なる身体。荒い息遣い。何かを呟いている片割れ。その服に大きな乱れはない。
その片割れの下で、衣服を纏わぬ白い脚を曝け出し、抱えられている『誰か』を見て、わたしは凍りついた。片割れの肩に縋りつくように食い込んだ、青い爪。長い指。
―――青い、髪。
( そんなの あの人しか知らない )